こちらから話を切り出さなければと思いながら、チマチマとうどんを加えつつタイミングを計っていた美鶴。だが、結局は綾子に問わせる形となってしまった。
我ながら情けない。
まあもっとも、常日頃からお客のグチやら悩み事やらを聞かされる立場にあるのだ。こういった場合の対処の仕方には慣れているのだろう。
美鶴は観念したように割り箸を置いた。そうして、ほとんど手を付けていないきつねうどんの鰹だしを眺めながら、一度大きく息を吸う。
「あの、ママは、私のお父さんの事、何か知ってますか?」
綾子は、美鶴の母親である詩織とは若い頃からの知り合いだと聞いている。ならば父親の事も知っているのではないか。そう思ってここまで来た。
来ておきながらなかなか言い出せなかったのは、怖かったから?
何が怖いのだ?
だが、口に出して聞いてしまったのだから、もう後戻りはできない。そう開き直って見つめてくる美鶴の瞳を、綾子はしばらく無言で受け止めてから、視線を落した。
「そっか」
まずそう一言。
「ずいぶんとよそよそしいから変だなとは思っていたんだけど」
「え? よそよそしい?」
思わず聞き返す美鶴に、綾子はやんわりと頷く。
「昔はもっとくだけてたのに、『はい』だとか『うどんでいいです』だなんてね。もっとも、高校生にもなったんだから、そんなのは当然なのかもしれないけどね」
そこでヒョコッと首を竦める。
「そうよね。美鶴ちゃんももう高校生なんだもんね。知りたくもなるわよね」
割り箸を置き、ゆっくりと揺れる水面に瞳を細める。目尻には小さな皺。
その、優しさを含んだ笑みを浮かべたまま、相手は視線を上げる。
「当然、詩織ちゃんには聞いたのよね?」
美鶴は頷く。
「でも、どこに居るのか知らないって」
「会いたい?」
その言葉に、美鶴は一瞬言葉に詰まる。
会いたい…… のだろうか? 会いたいという、そういった優しい気持ちで探しているのだろうか?
違うのだと、美鶴にはわかる。そのような理由で居場所を探しているのではない。
「会いたいと言うか」
言葉に窮する美鶴を、綾子は黙って見つめる。
自分が答えなければ先には進まない。
美鶴は緩く視線を泳がせながら言葉を吐き出す。
「私にも、選ぶ権利はあると思うんです」
綾子の瞳が、少しだけ大きくなった。
「選ぶ?」
「はい。お父さんとお母さん、どちらと一緒に生活するか、それを選ぶ権利は、私にもあると思うんです」
美鶴の言葉を吟味するように、綾子はグラスを唇に当てた。
「詩織ちゃんと、喧嘩でもしたの?」
「え?」
「詩織ちゃんとは、一緒に暮らしたくないって事?」
今度は美鶴が目を丸くする。
「あっと、それは」
慌てて否定しようとし、だが相手の瞳になぜだか気後れする。
小さいのに、なぜだか大きく見える相手。
綾子の方が一枚も二枚も上手だ。それは美鶴にもわかっている。年の功というのもあるだろうが、その職業も侮れない。自分を上手に隠し、相手の心情を読み取り、必要ならば巧みに引き出し、癒して帰す。
一流のプロだ。そのような相手に、自分は果たしてどこまで巧妙に嘘をつくことができる?
ふと、瑠駆真の顔が脳裏にチラついた。あの男も、似たようなところがある。
問答をすると確実に負けてしまう。昨日だって聡はすっかりハメられてしまった。京都旅行の全容を話すハメになってしまった。
クセのない、黒く艶やかな前髪の下で優しく笑う瞳の奥に、時々チラリと垣間見せる、自分を睨めつけた別の光。時にこちらを翻弄させるように接しては、手際良く相手を丸め込んでしまう。
別に好意など抱いてもいないのに、ひどく胸が苦しくなるくらいドキドキさせられるような瞬間が、瑠駆真にはある。
厄介なヤツ。
瑠駆真の姿が邪念のように頭をかき乱し、振り払うように美鶴は瞳を閉じた。そんな相手に綾子は口元を緩める。
「反抗期、なんて言葉で片付けるのは失礼よね。誰でも美鶴ちゃんくらいの歳になれば、親とは一緒に暮らしたくないって思うようになるもの」
あれ?
美鶴はもう一度目を丸くする。
何か、誤解されているのだろうか? 誤解はされていなくとも、少し話の焦点がズレているように思える。
だから美鶴は口を開いた。
「違うんです」
「違う?」
何が違うの? と言いたげに笑う綾子の視線に焦りを感じる。
「違うんです。反抗期とか、そういうんじゃないと思うんです」
そうだ。そんなこちらの感情が原因なのではない。原因は自分ではなく、母親の方にあるのだ。
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